限界理系大学生

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【解釈】サカナクション『アルデバラン』

こんにちは!ChuShunです。

 

今回はサカナクションの『アルデバラン』の解釈を自分なりに書いていこうと思います。

 

サカナクションの中でもマイナーな曲ですが、鳴り続けるハイハットの裏打ちと短い単語を繰り返される歌詞が特徴的でな一曲です。サビではコーラスも相まってグルーブ感が半端ないですね!

歌詞

Aメロ

1番

じっと じっと じっと 僕は待つの 汚れたアルデバラン

しっぽ しっぽ しっぽ 振って今日も 現れるだろう

 

人 人 人 また人 通り過ぎる街で

きっと きっと きっと 何千回も 鳴いたはずだろう

 

じっと じっと じっと 僕は待つの 汚れたアルデバラン

しっぽ しっぽ しっぽ 振って夜に 現れるだろう

 

人 人 人 また人 通り過ぎる街で

きっと きっと きっと 何千回も 泣いたはずだろう

 2番

じっと じっと じっと 僕は待つの 悲しみアルデバラン

しっぽ しっぽ しっぽ しっぽ立てて 今日もないているのか

 

人 人 人 また人 通り過ぎる街で

きっと きっと きっと 何千回も 歌われただろう

 

1番と2番の歌詞です。ぱっと見ほとんど同じで間違い探しみたいですね。

 

アルデバランは「鳴い」ているようです。これはサビを聞けば明らかになりますが、アルデバランは星のことではなく、どうやら猫の名前らしいです。実際に山口一郎がアルデバランという猫を飼っていたかは不明です。

 

情景は、都会のなかで、僕が猫のアルデバランを待っている、というところでしょうか。その猫の様子をみてひとこと述べているようです。

 

一番の歌詞では、「鳴く」と「泣く」でかけられています。言葉のダジャレというか、2つの意味を持たせてくる歌詞は山口一郎が好んで用いてくる技法です。ここでは、人間と猫とで二重化している表現でしょう。僕の悲しみを猫に重ねて顧みています。

 

一つ不思議なのは「歌われただろう」です。「歌う」としましたが、「謳う」なおでしょうか?賞賛されるといういみでなら、確かに猫というのは人に気に入られる存在で、否定する人は少ないでしょう。

 

「歌う」で考えると、やはり歌が、ですが、どういう歌なのでしょうか?猫にまつわる歌でしょうか、あるいは山口一郎本人の歌でしょうか?

 

サビ

明ける 明ける 猫の物語 僕は見ていた

明ける 明ける この物語 忘れたころには

 

シンプルな歌詞です。明けるはもちろん夜のことでしょう。「猫の物語」は猫を見ていろいろ思いを巡らせている様子を詩的に表現しているのだと思います。

 

真夜中の考え事って、とてもたいそうなことを考えているようで、お昼になると忘れてしまうんですよね。もしくは、実はそんなたいそうなことでもなかったことに気づくことってありませんか?ぼくは毎日あります(笑)

 

だから、いつでも「待つ」行為が繰り返されているのだと思います。同じ単語を繰り返す効果がここに表れています。

 

歌詞は関係ないですが、個人的に「猫の物語」と「この物語」で一音節ズレている部分が山口一郎の作曲の工夫が凝らされていて好きな部分です。

 

 

以上です。ありがとうございました。